まだ若かった30代の頃。
同い年の女の子「小鳥ちゃん」と知り合った。
SNSを通じて友達になったのは、今も昔も小鳥ちゃんとその仲間達くらい。
出会った当時の小鳥ちゃん。
乳がんの寛解まであと一年という時で、そこに纏わる話を色々聞いていた。
私は少し離れた場所に住んでいたので、胸の奥の方の気持ちも話しやすかったのかもしれない…と今は思う。
小鳥ちゃんはものすごく元気にお店をやっていて、そこに集まって来る常連達はみんなその事を知っていたから、お客さんがお店の人みたいに動いていたのが懐かしく思い出される。
あと一回、検査をクリアしたらやっと自由になれる〜!と言っていたその検査で再発が分かった。
「もう少しだったのにー」
と、それでも明るく元気にお店に立っていた小鳥ちゃんだったけど、夜に電話で話す時に感じるそのショックの大きさはとてつもなかったように記憶している。
その後、私の転居もあり、連絡が途切れ、しばらく経ってから亡くなったお知らせが届いた。現在同じ病気を経験している私は、
「ああ…進行の早い細胞タイプだったんだな…。若いぶん、更に進行も加速してしまったんたな…」
「あの時には分からなかった小鳥ちゃんの心の奥の不安や恐怖、今ならあの時より近いところで共有できたのにな…」
そんな風に思う。
さて、私も化学療法から丸5年目まであと少しのところまでやって来た。
いまは10年生存率になったので、5年は折り返しになってしまったけれど、その5年目は手術から5年なのかと思っていたら、術後に化学療法をスタートした人はそこからなのだそうだ。
3ヶ月前のCTと血液の検査結果は電話で受けた。
「腫瘍マーカーが上がってるけど、これは変動も多いからそんなに心配しなくていいと思います」
との事だったが、それ、この時期だけにちょっとした不安になってしまったのは事実。
だから折り返しまでちょっと延びちゃって、その余白にジワジワと不安の滲みが広がってきたような気がする。
普段は何も考えずに生きている(もしかしたら見ないようにした…だけなのかもしれない⁉️今はそんな風に思い始めた)。
でもコロナ禍の閉じこもりがちな時間が増えた分、次の診察までの時間にほんの少し生まれた不安が、心のドキドキに繋がってしまっているような気がしている。
治療仲間の女の子もかなり前に再発して、先日、再度の余命宣告を受けたという。
「新しいお薬が合わなければ打つ手がなくなり、その時にはさらに命の時間は限られてしまう」
と連絡が届いた。
それでも彼女は明るく生きようと頑張っている。
私も強くならなければ。
私の中の不安はまだやって来てもいないものへの心のゆらぎだよね。
持っていても仕方ないものは手放して、手にある光の種を育て続けよう🍀✨
そして、その光が少しでも人の心を和ませることのできるよう、この星の元気につながるよう、自分が元気でいなくっちゃね☆彡
でも…こわいものはこわーい!!
😄
書いたら何だか落ち着いた。
(書くぐらいいいよね)
こわいから…だから最近灯りの少ない暗い場所が本当にイヤだったんだなー。。今なら暗くても大丈夫だね。基本は明るい方がいいけど☆彡
でもやっぱり一人で歩く夜はなるべく明るさのある道がいい。
生きる上で
『大切なのは、目的』
それを心に持って進もう。